佐渡御書(御書新版P1285L16~P1286L3)

<御文>畜生の心は、弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生のごとし。智者の弱きをあなずり、王法の邪をおそる。諛臣と申すはこれなり。強敵を伏して始めて力士をしる。悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。これおごれるにはあらず。正法の惜しむ心の強盛なるべし。

<通解>畜生の心は、弱い者を脅し、強い者を恐れる。今の世の僧たちは、畜生のようなものである。智者の立場が弱いことを侮り、王の邪悪な力を恐れている。こびへつらう臣下とは、このような者をいうのである。強敵を倒して、はじめて、力ある者であるとわかる。悪王が正法を破ろうとし、邪法の僧らがその味方をして、智者をなきものにしようとする時は、師子王の心を持つ者が必ず仏になるのである。例を挙げれば、日蓮である。これは、おごりによるものではない。正法を惜しむ心が強盛だからである。

<背景と大意>本抄は、文永9年3月20日、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡から門下一同に与えられたお手紙です。前年の「竜の口の法難」以降、大聖人のみならず門下にまで迫害の手が及びます。難に動揺する門下を案じられた大聖人は、「開目抄」を送られています。それと同じ2月「二月騒動」が勃発。後に大聖人は、佐渡流罪とならず鎌倉にいたら打ち殺されていただろうとおっしゃられたそうです。そしてこの二月騒動は、立正安国論で予言された「自界叛逆難」の的中を意味し、それを受けて著されました。創価学会の御書と言っても過言ではない重書です。

<解説>当時、法華経を学んだはずの者たちでさえ、権力と結託して大聖人をなきものにしようと弾圧しました。大聖人は、権力を恐れてこびへつらい、正義の人を侮るものの本質を、「畜生の心」であると破折されています。その上で全てを勝ち超える事ができたのは、「師子王のごとくなる心」があったからだと仰せです。池田先生は「『師子王の心』とは最高の勇気です。そして、勇気を奮い起こした生命に現れる本源的生命力です。この力こそ勝利の源泉です。勝ちきっていくには、『師子王の心』を満々と現す以外にない。強敵にも、大難にも、恐れずに、また退かずに、勇気の信心を奮い起こして立ち向かっていくのです。大聖人は『師子王の心を取り出だせ!』と呼びかけられています。ここに仏法の真骨頂ともいうべき重要な観点があります。」とつづられています。

<学んでみて>もともと私は、小心者で、気弱なところがあり、学会活動の中で「勇気」の大切さを伺う度に、私の一番苦手なところだと気が引けていました。学生時代の初めての折伏の挑戦の時、自分にはできないのではとの葛藤と戦いながら一生懸命に祈りました。すると友人から連絡が。友人の悩みを初めて耳にし、自分でも驚くほど真剣にこの信心で一緒に乗り越えていこうとの話をしていました。友人のために出すべき勇気が出せた事が本当にうれしかったです。今回学んだ御文に照らせば、自分にも師子王の心があるんだと感じました。これからもありのままに祈りながら、勇気の師子王の心を出して、縁する一人ひとりを大切に前進していきます。

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